コンテンツにスキップ

宣帝 (陳)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
宣帝 陳頊
第4代皇帝
陳宣帝(閻立本筆、ボストン美術館蔵)
王朝
在位期間 太建元年1月4日 - 太建14年1月10日
569年2月5日 - 582年2月17日
都城 建康
姓・諱 陳頊
紹世
小字 師利
諡号 孝宣皇帝
廟号 高宗
生年 中大通2年7月6日[1]
530年8月14日
没年 太建14年1月9日
582年2月17日
陳道談
后妃 柳皇后
陵墓 顕寧陵
年号 太建 : 569年 - 582年

宣帝(せんてい)は、南朝の第4代皇帝。姓は

生涯

[編集]

陳道談の次男として生まれた。承聖元年(552年)に叔父の陳霸先侯景の乱を平定して京口に駐屯すると、南朝梁元帝が陳霸先の子弟の出仕を求めたため、陳頊は江陵に赴いて、直閤将軍・中書侍郎となった。承聖3年(554年)に江陵が西魏の侵攻により陥落すると、陳頊は関中に連行された。永定元年(557年)に陳が建国されるが、陳頊の身柄は北周に置かれたまま、陳の始興郡王に封じられた。永定3年(559年)に兄の文帝が即位すると、安成王に改封された。天嘉3年(562年)3月に北周から帰国し、侍中・中書監・中衛将軍の位を受けた。6月、使持節・都督揚南徐東揚南豫北江五州諸軍事・揚州刺史となり、驃騎将軍に進んだ。天嘉4年(563年)4月、開府儀同三司の位を受けた。天嘉6年(565年)4月には司空に上った。

天康元年(566年)3月、尚書令となった。4月に文帝が崩御するにあたって、劉師知到仲挙らとともに陳伯宗の補佐を遺命された。陳伯宗が即位すると、5月に陳頊は司徒・驃騎大将軍・録尚書事・都督中外諸軍事となった。光大元年(567年)には劉師知や到仲挙らを排除して陳朝における独裁権を確立した。翌光大2年(568年)1月に太傅に進み、司徒を兼ねた。11月、沈太后の令により陳伯宗が廃位された。

太建元年(569年)1月、建康の太極前殿で皇帝位についた。太建2年(570年)4月には廃帝の臨海王陳伯宗を殺害している。即位後は水路の整備や開墾、流民対策や租税の減免などの内政に力を注いだ。対外的には太建5年(573年)に呉明徹の北伐により北斉から淮南地方を奪取した。しかし太建9年(577年)に北周が北斉を滅ぼして華北を統一すると、その圧迫を受けるようになり、翌太建10年(578年)の呂梁の戦いの敗戦によって淮南の領土のほとんどを失った。太建12年(580年)に北周で司馬消難の乱が起こると、これを支援し、その敗北後は亡命を受け入れた。

太建14年(582年)1月、病のために宣福殿で崩御した。

妻子

[編集]

后妃

[編集]
  • 柳敬言
  • 銭貴妃
  • 彭貴人
  • 曹淑華
  • 何淑儀
  • 魏昭容
  • 袁昭容
  • 劉昭儀
  • 王修華
  • 韋修容
  • 申婕妤
  • 王姫
  • 呉姫
  • 徐姫
  • 淳于姫
  • 施姫
  • 曾姫
  • 楊姫
  • 袁姫
  • 呉姫
  • 劉姫
  • 秦姫

男子

[編集]

42人の男子をもうけた。

  • 後主陳叔宝(元秀)- 母は柳皇后
  • 始興王陳叔陵(子嵩)- 母は彭貴嬪
  • 豫章王陳叔英(子烈)- 母は曹淑華
  • 長沙王陳叔堅(子成)- 母は何淑儀
  • 建安王陳叔卿(子弼)- 母は魏昭容
  • 宜都王陳叔明(子昭)- 母は何淑儀
  • 河東王陳叔献(子献)- 母は銭貴妃
  • 新蔡王陳叔斉(子粛)- 母は劉昭儀
  • 晋熙王陳叔文(子才)- 母は袁昭容
  • 淮南王陳叔彪(子華)- 母は王姫
  • 始興王陳叔重(子厚)- 母は呉姫
  • 尋陽王陳叔儼(子思)- 母は徐姫
  • 岳陽王陳叔慎(子敬)- 母は淳于姫
  • 義陽王陳叔達(子聡)- 母は袁昭容
  • 巴山王陳叔雄(子猛)- 母は王姫
  • 武昌王陳叔虞(子安)- 母は王修華
  • 湘東王陳叔平(子康)- 母は韋修容
  • 臨賀王陳叔敖(子仁)- 母は施姫
  • 陽山王陳叔宣(子通)- 母は曾姫
  • 西陽王陳叔穆(子和)- 母は楊姫
  • 南安王陳叔倹(子約)- 母は申婕妤
  • 南郡王陳叔澄(子泉)- 母は申婕妤
  • 沅陵王陳叔興(子推)- 母は施姫
  • 岳山王陳叔韶(子欽)- 母は申婕妤
  • 新興王陳叔純(子共)- 母は袁姫
  • 巴東王陳叔謨(子軌)- 母は呉姫
  • 臨江王陳叔顕(子明)- 母は劉姫
  • 新会王陳叔坦(子開)- 母は袁昭容
  • 新寧王陳叔隆(子遠)- 母は秦姫
  • 新昌王陳叔栄(子徹)- 母は秦姫
  • 太原王陳叔匡(子佐)- 母は申婕妤

女子

[編集]
  • 楽昌公主(徐徳言の妻、破鏡重円の故事で知られる)
  • 斉熙公主 陳浄玲
  • 寧遠公主(母は施姫。の文帝楊堅の夫人となった。)

注釈・出典

[編集]
  1. ^ 南史』巻10, 陳本紀下による。
先代
廃帝
皇帝
第4代:569年 - 582年
次代
後主